2012年 06月 30日
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2012年 06月 30日
2012年 01月 30日
2012年 01月 29日
ピアノの初級教材で、
「知ってる曲でどんどん弾ける」といううたい文句の楽譜がいくつかある。 パラパラめくってみると、確かにどれもこれも知っている曲ばかり。 おお、これならすんなり楽しんで弾けるだろうと、生徒に渡してみる。 ちょうちょ、知ってるでしょ? メリーさんのひつじ知ってるよね? だいたいこのあたりは首を縦にふる。 しかし、いろんな曲を確かめていくうちに、 こちらがあたりまえに知っている曲でも、全く聴いた事がないという子どもたちが続々。 こういう曲は学校でいっぱい歌うよね?とこちらは思い込んでいる。 でも、よく考えたら、現在の音楽の教科書など、この10年近くみたことすらないのだ。 しばらく考え込んだ。 今の子どもたちにとって「知ってる曲」ってなんなんだ。 自分のあたりまえが通じなくなっていることに、 がっくりしたり、さみしかったり。 でもそういうものなのよね。 私だって、親の代の曲で知らないものはたくさんあるし。 ましてや孫みたいな年齢差の子どもたちが、知らなくて当然か。 これは、出版社も選曲しなおす必要があるかも?? なんて言ってる場合ではない。 もうちょっと今の子どもたちの様子を理解しないと。 あああ、いかんいかん・・・。 若い芸能人の名前もさっぱりわからない・・・orz だってテレビ好きじゃないんだもん・・・ オババを応援してください
2012年 01月 28日
以前子どもたちと作ったタイムカプセルを開けて、自分の書いたものを見たら、
「新しいグランドピアノがほしい」 「ノートパソコンがほしい」とあった。 まだデスクトップを使っていた頃のこと。 あらまあ、こんな事書いていたんだわ、とビックリした。 今とは全く違う種類の荷物を背中いっぱいに背負いこみ、奮闘していた頃。 あの時の自分に「きっと叶うよ」といってやれたらと思うけど、 知らないからこそ出せたエネルギーもあるから、先を知らなくてもよかったかも。 夢は叶うもの、自分の手でつかむもの、とずっと思ってきた。 青春ドラマのようにやみくもにがんばるのでもなく、 根性や念力で得るものでもなく。 それは、願いを持ち続ける中で、夢から手を放す事なのかもしれない。 手を放すというのは、あきらめるという意味ではない。 執着しないということ。 たとえば、何かのコンクールで賞をもらうのが夢だとして。 賞がほしい、賞がほしい、と一心不乱に準備して、それだけを見てまわりが見えなくなるようなものかも。 賞がほしい思いは持ち続けても、賞に対する執着を捨てることで、自分が自由になれる。 何のための賞なのか、賞をもらってどうしたいかがはっきり自分でわかっていたら、 その気持ちから手を放してもさほどこわくないはず。 こわくなるのは、まだ執着している事なんじゃないかな。 ノートパソコンがほしいほしいほしいほしいと強く思い続け、 絶対手にするんだ、必ずかなえるんだ、絶対絶対!なんて思っているうちは手に入らず、 ま、ほしいけど買えるようになったら買おう、と思ったとたん手に入ったりする。 タナボタじゃないよ。そんな事で叶うものは夢じゃない。 夢はもっともっと高みにあるもの。 夢は叶えるものなんだけど、 その思いがどこからきているのか、何をどうしたくて叶えたいのか、 私にはそこがすごく重要で、 思いが強すぎて執着から離れられず、心の自由を奪われるのなら、 それはあんまりいい夢ではないんだなと思う。 熱意と執着心。 私にはこの違いがすごく大切。 叶えたい夢があるって幸せだ。
2012年 01月 27日
寝ている時に、低学年の生徒とお母さんがレッスンに来てしまった。
ええっ?この時間だったっけ??と大慌てで服を着ようした。 その生徒は娘が担当。でも娘はでかけていていない。 レッスン時間を勘違いして出かけてしまったのだろうか。 これはヤバイ。私がかわりにレッスンするしかない。 でも服はレッスン室の押入れだし、生徒親子はすでにレッスン室に入ってしまった。 わーーーーー! ちょっとどうするよ!! ・・・と思ったら、服のまま寝ているのを思い出した。よかった・・・ でも、目がどうしても開かない。グイッと筋肉を持ちあげても開かない。 これはどうしたことか。 困った。とにかくレッスン室に行かなければ。 目が開かないままレッスン室に入っていった。 生徒が「せんせ~♡」ととびついてきた。 という夢を見た。しかもレッスン前の昼寝で。 どっと疲れた。 夢でよかった
2012年 01月 26日
若い頃、バリッバリに恐かった先生も、
ある程度年齢を重ねると、さほどじゃなくなるらしい。 「昔はこんなもんじゃなかったよ、こわくて」 こんな声をあちこちで耳にする。 その意味、まさに自分自身で体現している。 少なくとも10年前は、もっとギュ~っと絞る教え方だった。 妥協は許さん、死ぬ気で弾け!みたいな。 自分が妥協だらけなのに、よく言ったもんだ(笑) このごろは生徒がかわいくてかわいくて、 うんうん、ピアノ弾かなくていいから、ずっとおしゃべりしてな~、くらいな気分で。 たとえば、我が子たちに対しても、 こうしてはイケナイ、ああしてはイケナイと、かなり口うるさく言ってきたし、 ルールもたくさんあったし、いろんな事を教えてきたつもりだけど、 でもそれを過ぎてみて思うのは、ツボだけおさえてりゃいいじゃん?ということかな。 あまりにもガチガチに考えすぎて、どうでもいい事にもたくさんエネルギーを使ってしまった。 ほんとにどうでもよかった。 ピアノだって、すべての子が正規ルートを歩めばいいわけじゃないし。 あるいは、きちんとハノンもエチュードも曲もバッハもおさえていながら、 ある時期、その枠をスポンとはずす事があってもいいわけだし。 少々の脱線はアリでしょ。 臨機応変、柔軟な判断。 私はそれがいかに大切か、今になってようやくわかってきた。 子どもの頃に古典をたくさん弾くのは大事だけど、それも程度問題で、 逆に小学生のうちにリストやショパンをどんどん弾いたっていいよねと思う。 どちらかに偏らせるという意味ではなくて。 脳みその揉みほぐしもさることながら、心の揉みほぐしをおろそかにしたら、うまくいくものもいかなくなる。 ピアノをやっていると言えば、 昔なら「高尚だ」とか「優雅だ」とか言われたものだけど、 高尚でも優雅でもない。(ないと言い切ることもないけど) ホントはこれ、非常に厳しい訓練なわけで、スポーツみたいなもので、脳トレでもある。 子どもの頃から孤独な闘いをしているのだ。ほんとはね。 でもそんな事をなんで続けられるかというと、弾けたらホントに楽しいからに違いない。 人間はもともと、向上したいという欲求もある。 スポーツと一緒で、練習する事そのものが楽しい部分も多いけど、 みんながみんなそうじゃないし、いつもいつもそう思えるわけでもないし。 そこへ、ああせえこうせえとガミガミ言われたら、そりゃたまったものじゃない。 いや、ガミガミ言ってきたのはワタシだけど(爆) これからも、経験と共に変化していく自分を楽しんだり戸惑ったりしながら、 淡々とピアノを教えていくんだろうなと思う。 10年後はどうなっているのかな。 ピアノ弾かせないで、ケーキ食べさせていたらどうしよう^^; がんばれなんて言わなくても、がんばる時には勝手にがんばるんだよね、キミタチ。
2012年 01月 25日
未だ携帯派。
それすら使いこなせていない。 旅行中以外、携帯でネットをしないので、メール以外で携帯を使う必要もない。 だから使い方が上達しない。 なのに、スマホを持っている。 iphone 3GS 息子が4Sにしたので、いらなくなった3GSを母に捧げてくれたのだ。 (本当は脅迫してひったくった。カツアゲ?) このiphoneで何をしているかというと、アプリの育成ゲームなど。 通信契約はしていないので、自宅のWi-Fiでネットをしたり、アプリをとったりする。 「そんな事のためにやったんじゃねぇよ」と息子が怒るんだけど、そんなこと知らない。 で、ごくたまにベッドの中でWi-Fiにつないでいろんなサイトを見る。 自分のブログやmixiやTwitterなども。 そうすると、コメントが入ってるでしょ。あ~返事書かなきゃと文字を入れ始める。 しかし、、、、この文字入力が大変で大変で。 フリックだかなんだかというんでしょ? これ、手元が狂うとすぐ変になるし、傾けると画面が横になって文字がどっかいっちゃうし。 しまいには、サ行をフリックしようとして、間違えて横の×をさわって、苦労して書いたのが消えちゃうし。 なんなのよこれはっ!(怒) できないと腹が立つ。 だけど、私は毎日パソコンで文字を打ちまくってきたのに、 年数だけで言えば初心者でもないのに、 パソコンを使えて、このスマホとやらを使えないわけがない。 そう思うと、だんだん悔しくなってきた。 どうやったらうまくなるのか。 使えばいい だけど、日常的に使っていないから、メールも出せないし。 どうやって使えばいいのだ。これでブログ書くのも無理だし。 きーーっ!となって、ハタと気づいた。 これだけたくさんアプリがあるんだから、フリック練習アプリがあるはず! ありましたよ。 早速ダウンロード。 そして、しつこいくらいに、え、え、え、え、え、とやらされる。 文字のフリックの方向を体に覚え込ませるわけだ。 「なんかピアノの導入教材みたい・・・」 ひたすら練習しながら思った。 そして、感覚ではなく、マニュアルから入るあたり、 やっぱりピアノの人だと自己分析。 無駄なく上達するにはどうしたらいいか。 それをレッスンで毎日伝えているわけだから、おのずとそうなるわけよね。 ちなみに車もマニュアル派です。(意味ちがう) はい、フリック!じゃなくて・・・ ピアノの話しじゃなくてごめんねー
2012年 01月 24日
ALWAYS 三丁目の夕日'64を観に、末娘(三女)と出かけた。レイトショー。
その前に、隣接しているイオンでプリクラを撮ろうというので、娘の言うままについて行った。 ああだのこうだの撮影して、そのあとらくがきをしている時に揺れた。 福島浜通りが震度5弱と知り、は???と思考が止まった。 私が映画館で映画をみるのは珍しいことなので、なんでよりによってこんな時に、、、と、 一瞬どうすべきなのか、判断がつかなかったけど、そのまま映画を観て帰ってきた。 前置きが長いけど、3Dで観たこの映画はよかった。 3Dほんと楽しい。 何がどうよかったかは自分の胸にしまっておくことにして、 とにかく、吉岡秀隆がウマイ!いい味出すようになったと思った。 ネタバレになると困るので、ここらで映画の話しはやめにするけど、 ガツンと一発かまされた気分。 人に気を遣う優しい時代になった半面、 本気で何かにぶつかる事を避けるようになっているのかもしれない。 体裁を整え、人当たりよく、事なかれ主義で。 もちろんわざわざ事を荒立てる必要なんてない。 だけど、日本をここまで成長させたのは、ゴツゴツした本気ではなかったか。 震度5弱の4号機を心配しながら観た映画は、私にとっては偶然ではなかっただろう。 弾く事、書く事、生きる事、守る事、全てにおいて揺さぶられた夜だった。 胸ぐらをつかまれて、思いっきり。
2012年 01月 23日
人に物を伝えようとして、必死になるあまりに、伝えすぎる事がある。
そういう場合、逆効果で終わることが多い。かなり。 言えば言うほど、言葉を使うほど、ややこしくこじれていく。 感覚が違うとはこういうことだ。 たとえばレッスンで。 「真ん中のドはここ」という、ハッキリ決まっている事ならいいんだけど、 指や腕を使う感覚のことや、音をとらえる感覚など、 まさに感覚で伝えようと思っても、全く伝わらない事がほとんど。 自分にとってドンピシャな言葉やたとえであっても、相手には外国語にきこえている。 何を言われているのかさっぱりわからない これがレッスン中に起きると、目が泳ぐ。 教える時も、教わる時も。 難しい事をわかりやすく教える(伝える)のがプロだ。 だけど、現場ではこれが通用しない場面が多々あるのもホント。 「肘の力を抜いて」なんて、これはあたりまえの事なんだけど、 そんなの、言葉で言われただけでできたら、誰も苦労はしない。 言葉で言われてすぐできるなら、もうできているのだ。 こんなふうに動かしてみて、ここを意識して落としてみて、 じゃあこれは?これは?と、どう攻めたら伝わるのか探りの繰り返し。 でも、どうも伝わりきれていない様子だから、 「じゃあいいかげんにやってみな」なんて言うとできたりする。 ナンナノコレ凹 相手が全員違う感覚を持っているのに、全て同じ説明ですませようという方が間違っている。 伝わるか伝わらないか。 コミュニケーションはそれしかない。 「私はこういうやり方です」と、全員に同じ言葉と説明をしてそれでいいのなら、 ピアノ教師なんてホントに楽だと思う。というか、ツマンナイね。 これがこうでこうなのよね。ハイどうぞ~・・・の一発で伝わると、 いや、これはホントに気持ちがいい。 一発じゃなくても、思考錯誤の末に伝わると、やった!と思う。 「なんでわかんないの」のセリフが浮かんだら、オシマイよね。 説明が伝わってないからわかんないんでしょ。 それを伝えるのがシゴトでしょ。 ピアノの先生って、山岳ガイドみたいなもの。 こっちのルート、あっちのルート、 体力や時間、天候、いろんな事を考えてルートを練る。 遭難しないように、今日もいろいろ考える。 けっこう苦労してるでしょ(・o・) (笑) かわいそうな先生を応援してね
2012年 01月 21日
ほ~ら!(爆)
![]() いや、、その、、、いーじゃん、いーじゃん、別に。 同じページに載っただけでも、アタシにとっちゃ一大事だから。 だって、アルゲリッチだよ?(笑) 昨年度は、「誌上・鍵盤迷走」というバカなエッセイをムジカノーヴァに1年間載せてもらった。 今年度は、3人でのリレーエッセイを3カ月に1度載せてもらった。 喜怒哀楽をテーマに、それぞれが入れ替わりで書いてきた。 2月号は「哀」で、私の担当は4つ目。つまり私の最終回。 600文字という制限の中、どうやって話しをコンパクトにまとめるかがネックだった。 字数を合わせるのは難しい。 でも、今は本当に便利だよね。 パソコンだったら字数がすぐわかるし、文字や文章の入れ替えも簡単。 気軽に書けるし、訂正もできるし、パソコンばんざいなのだ。 原稿用紙だとこうはいかない^^; 気軽に書けるもう1つの理由は、いつもこうしてブログを書いているから。 バカな事でも、書いたものを人目にさらすことに慣れているのは大きい。 Twitterも然りで、140文字制限の中、書きたい事をコンパクトにまとめる練習にもなっている。 何事も経験、練習、訓練。 そういうわけで、アルゲリッチCD紹介と同じページ(P.78)のラストエッセイ、よろしくね~♪ エッセイのお仕事もよろしくお願いします<(_ _)> (こらこら) こちらもよろしく よろしくだらけ
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