11日をどうやって過ごそうか、数日前から考えていた。
何かのイベントに参加するとか、そういうことではなくて。
いかにやりすごそうか、どうやってスルーするか、という意味。
スルーだなんて不謹慎な事を言うようだけど、意識するまいと思えば思うほどしんどくて、
昨日の朝は目が覚めたとたん、自動的に涙が枕に落ちた。1年前のこの時期と同じ。
1年前も、リビングで服を着たまま寝ていて、朝になると涙が目覚まし代わりだった。
悲しくて悲しくて、胸がつぶれそうな毎日。
中途半端に被災したため、家も仕事も失っていない自分が、自分の事でツライとは言えなかった。
自分の事でツライとも思わなかった。
ただ、こんな中途半端な仙台から被災地を思いながら、ツライと言えないのがツラかった。
1年前と全く同じように、今もまた、ツライと言えないのがツラい。
家もある。仕事もある。家族もいる。
それで何がつらいだろう。何が悲しいのだろう。
でもやっぱり、つらいものはつらい。悲しい気持ちは当時のまま。
つらい経験をした友人が「心の塊が1年たってますます硬くなった」と表現していたけれど、
この言葉が現在の多くの人の気持ちを見事に表していると思った。
程度の差こそあれ、私もそうなのだ。
1年前よりもっと硬くなった心の中の塊に痛みを感じている。
昨日は黙祷をしなかった。
黙祷という言葉も、絆も復興もなにもかも、こういう言葉を拳ににぎり、
近くのものを破壊したくなるような、そんな思いにすらなった。
だから黙祷はしなかった。苦しくてできなかった。
14時46分、まだみんな生きていた。
こんな時間に黙祷などするものか、という気持ちもあった。
意固地だろうか。ひねくれものだろうか。
でもまだ無事だった時間に、わざわざ黙祷なんてイヤだった。
黙祷、祈りなら、この1年毎日のようにしてきた。
忘れない、忘れるな、なんて言われなくても、忘れられない。忘れられるわけがない。
感情が崩れないように、絶対涙なんて流さないと必死に精神統一をして、
あれから1年だとか、あの日の今ごろは、、、なんて考えないようにした。
こんなに気持ちの努力をしなければ、私は昨日を過ごせなかった。
繰り返される津波や揺れの映像を見ると、吐き気と頭痛に襲われる。
特番で有名人やタレントが被災地に入ってあれこれ伝えていても、
私の中では拒否反応ばかりで、テレビを正視できない。
ならば見る必要もない。数日前から一切テレビを見ないようにした。
昨日は、たった1人でこの日を部屋で迎えるであろう人の所へ、
車を飛ばして出かけようかと思った。せめてそばにいられたらと思った。
1人あの部屋でぽつねんと座っている姿を想像したら、いたたまれなかった。
でも、どうしてもできなかった。行けなかった。
直接傷をもったわけではない私でもこうなのだ。
ましてや直接傷を受けた方々は、どうすればいいのだろう。
震災後数か月たった頃、「被災者は支援を受けてばかりいないで自立すべきだ」などという声が出てきて、
(どんな時でも似たような事があるのだろうけど)その言葉を目にしたり耳にしたりする時、フザケルナ!という思いで唇を噛んできた。
いろんな人がいるのは本当だ。支援必要ないでしょ、となるケースも中にはある。
だけど、少なくとも私が向かった先の方々は、ご苦労されながらも、支援をあたりまえだとは思っていなかった。
申し訳ない、いつまでも甘えてすみません、ぜいたくなものはいりません、と頭を下げられた。
全国のみなさんの支援金や支援品なのに、
私は運んだり送る手配をしただけなのに、
いつもお礼を言われるのは私だった。
海の人たちに支援品を持っていくと、あとからサンマや牡蠣の「お返し」が届いた。
こちらから出かけて行って、数名で集まってランチを一緒に食べた時も、
ランチのお金を、出かけていった私たちに出させてはくれなかった。
「これが私たちの流儀です」と、逆におもてなしをしていただいた。
この、尊厳ある方々。
私なら、大事な家や家具、思い出の品、そして楽器をダメにしたらどうなっていただろう。
家族を亡くしてしまったら、まともな精神状態でいられるわけもなく、
自分も向こうに行きたい、生きていたくない、と思うに違いない。
でもどんなにそう思っても、生きていくのが人間だ。
ピアノなんてもうやめてしまおうと、そう考えてもおかしくはない。
ピアノ教室を再開させようとしても、生きていくだけで必死で、どうやってまたグランドピアノを用意できるだろう。
なのに、多くのピアノの先生が、教室を復活させている。
毎月、毎月、日を追うごとに嬉しい知らせが耳に入ってくる。
家も楽器もダメにしたのに、どうして?どうやって?
その苦労が細かいことまで見えるだけに、信じられない思いで茫然とする。
そして、人に頼らず、あえて手を放し、自分の力でローンを組んでグランドピアノに向かっていく先生。
生徒さんを何人も亡くし、ご自分の家も楽器もめちゃめちゃになっているのに、
その力がどこからわいてくるのだろう。
私はヘタレだから、同じようにはできないかもしれない。でもできるかもしれない。それはわからない。
でも、どうして「できるかもしれない」と思うのかというと、やっぱりその思いがわかるから。
弾くこと、教えること、すべてを含んだ「ピアノ」が自分にとって何なのかを知っているから、そう思う。
こんな目にあってもなお、ピアノ教室を再開させたり、させようと奮闘している先生の目は、みんな同じだ。
こういう先生のもとで、またピアノを再開させようとしている子どもたちがいます。
1年たって、やっと住宅事情や経済事情が整い、ピアノに向かえるようになった子どもたちがいます。
今、こういう子どもたちのために、電子ピアノが必要です。
子どもたちに対して、電子ピアノをぜいたく品と言わないでください。
状況が整った子どもたちからどんどん、ピアノを取り戻してほしいと心から願います。
津波で家を失った子どもたちばかりではなく、原発で避難している子どもたちにも。
電子ピアノは、宮古で被災した楽器店・小成さんを通して送っています。
私たちは、こういう形で小成さんも応援しています。
ご理解いただける方は、どうか
支援金で助けてください。
kabo518@gmail.com にご連絡ください。
この活動は、東京の中嶋恵美子先生と一緒にやっています。
中嶋恵美子先生のサイトでも支援金と楽器を募集していますので、
こちらをご覧ください。中嶋先生の記事も合わせてお読みください
楽器支援は、まだ1年です。
これからです。
どうかみなさまのご協力をお願いいたします。

昨日どうしても言葉にできなかった震災への思いです